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実写映画『嘘喰い』ひどい!原作好きとして許せない!

楽しかったモノ・コト

実写映画『嘘喰い』
見ました。

ずっと原作マンガを追い続けてきましたが、
「ついに、嘘喰いが日の目を見る時が来たか!」
と期待した本作・・・

一言で感想を述べると、
「ものすごく不完全燃焼」
という感じでしょうか。

原作をご存じの方は、
少なからず、同じ感想をお持ちだと思います。

今回も、思い入れのある作品なので、
少し辛口な感想になってしまうかもしれませんが、
ご容赦ください。

それから、ネタバレを含みますので、ご注意を。

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実写映画『嘘喰い』の個人的評価

実写映画『嘘喰い』の個人的評価は、

評価:★★☆☆☆

くらいでしょうか。

おそらく、原作を知らない人が、
何も考えずに見れば、
「可もなく不可もなく」といった
感じの出来の作品だと思われるでしょう。

これが、
原作好きからすると、
あまりにも不完全燃焼な作品に感じられるのです。

映画の内容はと言えば、
原作の設定を借りて、
原作『嘘食い』の序盤の部分を
ダイジェストで、
軽くなぞるような感じです。

原作の設定を借りているので、
映画自体は、そこそこにはおもしろいです。

しかし、やはり、
なんだか物語の軸がブレている感も否めない・・・

全体的に
印象のうすい作品だったようにも思います。

原作『嘘喰い』は、超おもしろい!

実写映画は、いまいち不完全燃焼でしたが、
原作『嘘喰い』は、すばらしい作品です。

原作を読まれていない方のためにも、
『嘘喰い』の魅力を少しあげておきましょう。


さて、
原作『嘘喰い』の最も大きな魅力と言えば、
何でしょう。

それは、やはり、なんといっても
入り乱れる『智』と『暴』」ではないでしょうか。

「賭博」において、
卓越した「智」をふるい尽くした末に、
計り知れない財を手にしたとしましょう。

しかし、
他を圧倒する「暴」を兼ね備えていなければ、
財を守り切ることは叶いません。

勝利には、
「智」と「暴」が不可欠なのです。

実に、真理をついている気がします。

実社会においても、
相手の立場が自分より強ければ、
大事な約束を反故にされることってよくありますよね。

そのリアルさが、
本作の大きな魅力の一つだと私は思っています。

「ギャンブル」と「バトル」、
2つのテーマが完全に両立しているのに
こんなに軸にブレがない作品も珍しいですよね。


そして、次は本作の2つ目の魅力。

それは、言うまでもなく、
個性豊かなキャラクター」です。

つかみどころがなく、
何とも言えない浮世離れ感を持った
主人公『嘘喰い・斑目貘』。

『斑目貘』は、時に、
おどけた態度を取ったり、
恐れる演技をしてみたりと
戦いの中でさまざまな顔を見せてくれます。

しかし、
そのすべてにおいて、
どこまでが「打算」の上で、
行われているのかは誰にもわかりません。

誰も、その本心を読み取ることはできないし、
その狙いを図ることもできません。
一体どこまで先を読んでいるのかもわかりません。

それが『斑目貘』というキャラクターの
描き方のうまいところだと私は思います。


そして、
『斑目貘』と行動を共にする
『梶隆臣』の成長からも目が離せません。

梶ちゃんが賭郎勝負を吹っかけ、
失敗を重ねながらも
ぎりぎりのところで生き残るところには、
いつも、ひやひやさせられます。


そして、そして、
本原作において、
最もキャラクターの描き方がすばらしいのは、
『立会人』のみなさんです。

とんでもない額のお金、
いや、もしかしたら、それ以上のモノが賭けられる
「賭博」の立ち合いをするという立場において、
常に『立会人』は、
何事においても「完璧」に立ち振る舞う必要があります。

あなたもご存じの通り、
「完璧な人間」など、この世のどこにも存在しません。

そんな当たりまえの前提の中で、
「完璧」の傍らに立ち続けるという覚悟を持った者たちだけが
『立会人』を名乗ることを許されるのです。


それぞれの『立会人』が
それぞれのやり方で「完璧」たろうとするその気高い姿が
本作の見どころの一つでもあります。

さて、
そんなわくわくするような原作作品を、
今を時めく俳優さんたちが演じた
実写映画『嘘喰い』は
どのようになってしまったのでしょうか。

それでは、ここからは、
映画の感想です。

実写映画『嘘喰い』の良かった点

まずは、実写映画『嘘喰い』の
良かった点からあげていきましょう。

横浜流星さん、いい感じでした

『嘘喰い』という作品の魅力は、
主人公『斑目貘』の魅力と言っても
過言ではないかもしれません。

それだけ、貘さんは、魅力的なキャラクターです。

ただそれだけに、演じるのが難しいのでは?
と私は心配していました。

『梶』や『マルコ』といった登場人物は、
作中でも、多くの内面の描写があるため、
そこまでむずかしい演技表現は必要ないのではないでしょうか。

しかし、
『斑目貘』は違います。

すべてを見透かしたようでいて、
周囲には、見透かしたようには見えないような
そんなむずかしい演技表現が必要になるのではないか?
と私は、勝手に想像しています。
演技のことは深くは、わかりませんが。。。

なんだか、何を言ってるのか
伝わらないかもしれませんね(笑)

ただ、つかみどころのないキャラクターの演技というのは、
ヘタをすると、ただ印象のうすいだけの人物というだけで、
片づけられてしまいます。

そういった意味では、
横浜流星さんは、自分なりの『斑目貘』を
うまく見つけて演じられていたかな、
と思いました。

セリフ回しや立ち振る舞いなんかには、
多少の違和感はありましたが、
それはおそらく、製作サイドの意向なのでしょうし。

ただ、
『貘』は運動オンチなので、
得意の格闘シーンが披露できないのは残念でしたね。

映画としては、いい話でうまくまとまっていた

実写映画、本作の物語の中心は、
もちろん、
「嘘喰い・貘vs佐田国一輝」です。

2人の直接対決はと言えば、
「ババ抜き」
と非常に地味な戦いですが、
そこは原作通りですし、おいておきましょう。

問題は、
「嘘喰い・貘vs佐田国一輝」の幕引きが、
なんだかすごく「いい話」に
まとまっているということです。


原作では、
「嘘喰い・貘」に嘘を喰われた
「佐田国」は、「生への執着」を呼び起こされ、
それまでの毅然とした態度を一変させ、
「死にたくない!」と醜態をさらしながら、
命を奪われることになります。

しかし、
実写版本作では、
この生粋の名シーンが大幅に改変。

本作では、逆に
「佐田国」は、「嘘喰い・貘」に
「死への覚悟」を与えてもらったようにも見て取れます。

達観した「佐田国」は、
取り乱すことなく、昔の仲間のもとへと旅立っていきます。

そして、あろうことか、
死を覚悟した「佐田国」は自身の思いを
「嘘食い・貘」に託し、非常に満足そうです。

対決は、
「嘘喰い・貘」の完全な勝利であり、
原作通りなのですが、
「佐田国」というキャラクターの最期が、
大幅に改変されているのです。

この改変により、
映画全体が非常に「いい話」にまとめらています。

一作の映画を作る上では、
物語を「いい話」にまとめるのは重要なことです。

そういった意味では、
「うまく丸くまとめたなぁ」というのが、
作品への感想の一つとなるでしょうか。

ただ、
この改変を行うことにより、
『斑目貘』という人物の軸が
ブレてしまっているように感じるのも確かです。

それについては
↓でくわしく見ていきましょう。

実写映画『嘘喰い』のひどい点

さて、ここからは、
実写映画『嘘喰い』のひどい点について
見ていきましょう。

貘の人物像がなんだかブレて見える

さて、
↑であげた本作の「よかった点」に関連しますが、
「嘘喰い・貘」の人物像がなんだかブレてない!?
というのが、私の感想です。

私は、
「嘘喰い・貘」を、
仲間から慕われるカリスマ的な一面を持つ反面、
快楽主義的で、非常に打算的な人間だと思っています。

死を覚悟した「佐田国」は、
「嘘喰い・貘」に自身の思いのすべてを託し、
「貘」はその思いを受け止めます。

しかし、「貘」のように
非常に打算的な人間は、
思想が全く異なる赤の他人から「思い」を
やすやすと託されるようなことはしない気がするのです。

そこがなんだか似合わない。

現に、原作では、
「梶隆臣」は、「貘」を
「悪人ではないが善人でもない」と評していますし、
「マルコ」は、「貘」について、
「悪人の一種だが、悪人にも色々ある」と語っています。

実写版本作では、
『斑目貘』が、
世俗的な上に、明らかな「善人」であるかのように描かれていることに
少し違和感を覚えました。

もしかしたら、
本作だけを見れば、『貘』は、
一貫して「善人」として描かれていて、
正義の味方として、
「梶ちゃん」や「ロデム(マルコ)」に率先して助けの手を差し伸べ、
人並みに「蘭子」と恋をしているだけなのかもしれません。

しかし、
そんな普通っぽい人間が、
何のために、
命を賭けてまで賭郎の御屋形様と戦うのでしょう。

まさか、本当に
「悪人の一種」であるはずの「貘」の真の目的が
「世界平和」であるならば、
なんだか少しがっかりです。

主人公である「貘」の人物像がブレるということは、
物語の軸そのものがブレるということです。


こうなってくると、
実写版本作は、作品を通して、観客に何を見せたかったのだろう・・・
という疑問すら感じられてしまいます。

すごみもカリスマ性もなく、
気まぐれに良いことをするだけの腕の立つギャンブラーが、
のらりくらりとギャンブルに勝つ姿をなんとなく、
見せられ続けるだけでは、なんとなく満足できない・・・

そこが本作を少し残念に感じたところでした。

ロデムの等速直線運動、大丈夫?

本作を「アクション映画」と呼ぶのは、
少し差し支えがあるかもしれませんが、
本郷奏多さん演じる「目蒲立会人」のバトルシーンなんかには
特に違和感はありませんでした。

少し銃を多用しすぎな気もしましたが、
普通に考えれば、
まず、素手の人間が、
銃を持っている人間にかなうはずもありません(笑)

というわけで、おおむねアクションに
文句があるわけではないのですが、

一点だけ、とてつもなく気になるアクションシーンが・・・

それは、というと
「貘」と「梶」が、
「ロデム」に襲われるシーンです。

「ロデム」の身体能力のすさまじさを
表現するためなのでしょうか・・・

「貘」と「梶」を見定めた「ロデム」は、
文字通り、一足飛びに、二人めがけて
襲い掛かってきます。

その問題の「一足飛びの跳躍」のシーンですが、
安っぽいワイヤーアクションのように、
「ロデム」が空中で等速直線運動をしながら、
「貘」と「梶」にするすると近寄ってきます。

最近、私が、
「アベンジャーズ」や「アバター」などの
一級品の作品ばかり見ていたせいでもあるのかもしれませんが、
このシーンには思わず、
苦笑いを禁じ得ませんでした。

この演出のせいで、
完全に本作がチープに感じられてしまった
と言っても過言ではありません。

他にもなんだか、
「ロデム」とのアクションシーンは、
不自然なところが目立っていたような。。。

いや、しかし、
「ロデム」の身体能力の高さを
表現するために、あえて不自然さを演出したのだと
解釈することにしましょう!

鞍馬蘭子の小物感がすごくない?

なんだか、
実写版本作のキャラクターは、
原作の人物よりも、小物感が強い気がしました。

その筆頭が、
『鞍馬蘭子』です。

もちろん、
演者の白石麻衣さんが悪いというわけではないのですが、
これは、もしかしたら、
キャスティングミスというやつなのかもしれません。

製作サイドとしては、
白石麻衣さんに
新しい演技を開拓してもらうことを期待しての
キャスティングだったのでしょう。

もしくは、逆に
『蘭子』の役どころを白石麻衣さんに
寄せたつもりだったのかもしれません。

確かに元トップアイドルは、
小さからぬ「数字」を持っていますので、
起用自体はすばらしい選択だと思います。


しかし、
あくまで『蘭子』は、
裏の世界に君臨し、
組の長として、カジノを営む極道の女です。

そんな極道の女が、
年端もいかないイケメンギャンブラーに
恋をするところには、見ていて少しゾッとさせられました。

なんだか、子ども同士の恋愛を見ているようで、
作品のチープ度がここにきて、またさらに上がったようにも感じます。


それから、
『蘭子』は、『貘』の人主として、
5億円を拠出しますよね。

しかし、
この「5億円」が、
『蘭子』さんの組の
余剰資金のすべてだとのことです。

「5億円」というのは、極道的な額としては、
どうなのでしょうか。

いや、変な意味ではなく、
私はカジノを経営したことがないので、純粋にわかりませんし、
コロナのせいで不景気なのもあるのかな、とも思いますし、
サラリーマンの給与からすると、
もちろん「5億円」は、すごい額です。

しかし、
第一印象としては、
あれっ意外と持ってないんだなぁ
と感じたのが、正直なところです。

上場企業ではないシノギの経済活動ですし、
そんなものなのでしょうかね。

それから、『蘭子』さん、
けっこう派手な邸宅にお住まいのようでしたが、
あんなに目立つ家に住んでしまって、
税務調査とかには、入られないんでしょうか。

やはり、
組のお金を意中の男性のために
すべて一括でつぎ込んでしまうくらいなので、
経営の手腕は、少し脇が甘めといったところなのでしょうか。

裏の世界のことはよくわかりませんが。。。

『智』と『暴』が両立・・・していない・・・

↑の方でも取り上げましたが、
原作『嘘喰い』の最も大きな魅力とは、何でしょう。

それは、やはり、
入り乱れる『智』と『暴』」ではないでしょうか。

「ギャンブル」と「バトル」の融合、
これが、
『嘘喰い』という作品の根幹でもありますね。

しかし、
実写版本作には、
「暴」に言及されるシーンが一切ないのです。


原作では、『貘』が、
『ロデム(マルコ)』を仲間に引き入れるのは、
「かわいそうだから」
という単なるボランティア精神からではありません。

『マルコ』の戦闘能力を評価した『貘』が、
彼を「暴」として、利用するのです。

しかし、残念ながら、
実写版本作においては、
『マルコ』に「料理がうまい」以外の活躍の場が
与えられることはありません。

つまり、
本作には、原作のような「暴」という
概念は存在しないのです。

これは一大事です。

原作では、
『立会人』をも、脅かす「暴」が存在するからこそ、
『立会人』の生き様が輝くのです。

「暴」が存在しなければ、
『立会人』の重要性も半減です。

そして、
『嘘喰い』から、
「暴」が失われてしまっては、
もはや、本作の魅力は半減どころでは済まないのです。


例えるなら、
人気マンガ『東京卍リベンジャーズ』を
「タイムリープなし」で実写映画化するようなものでしょうか。

さすがに、
実写版『東京リベンジャーズ』でも、
そこまで無茶なことはしませんでしたよね。
少し怪しかったですが(笑)

しかし、
実写映画『嘘食い』では、
「時間が限られているから・・・」といって、
それくらいの暴挙をやってのけてしまっているのです。

これはさすがに悲しい!

個人的には、
映画の製作にたずさわる方には、
ひとつひとつの作品をもう少し大事にしてあげてほしいなぁと
願っていたりもします。

素人の私が偉そうに言えたことではありませんが。