今回は、
実写映画『嘘喰い』をレビューしていきます。
ちなみに、私は、
ずっと原作を追い続けてきた、
原作ファンの一人です。
「ついに、嘘喰いが日の目を見る時が来たか!」
と期待した本作・・・。
今回は、特に思い入れのある作品なので、
少し辛口な感想になってしまうかもしれませんが、
ご容赦ください。
!!本レビューには、ネタバレを含みますので、ご注意ください!!
実写映画『嘘喰い』のココがひどい!?
嘘喰い・斑目貘の人物像がなんだかブレて見える!?
「”嘘喰い・斑目貘”の人物像がなんだかブレてない!?」
というのが、本作の第一印象です。
私は、
”嘘喰い・貘”という人物を、
仲間から慕われるカリスマ的な一面を持つ反面、
快楽主義的で、実は、打算的な人間だと、認識しています。
死を覚悟した”佐田国”は、
嘘喰い・貘に、自身の思いのすべてを託し、
貘はその思いを受け止めます。
しかし、嘘喰い・貘のように打算的な人間は、
思想が全く異なる赤の他人から「思い」を
やすやすと託されるようなことはしない気がするのです。
そこがなんだか似合わない。
現に、原作では、
”梶隆臣”は、嘘喰い・貘を
「悪人ではないが善人でもない」と評していますし、
”マルコ”は、
「悪人の一種だが、悪人にも色々ある」と語っています。
実写版本作では、
”斑目貘”が、
世俗的な上に、
明らかな「善人」であるかのように、
描かれていることに少し違和感を覚えました。
もしかしたら、
本作だけを見れば、”貘”は、
一貫して「善人」として描かれていて、
正義の味方として、
”梶ちゃん”や”ロデム(マルコ)”に、
率先して助けの手を差し伸べ、
人並みに”鞍馬蘭子”と恋をしているだけなのかもしれません。
しかし、
そんな普通っぽい人間が、
何のために、
命を賭けてまで賭郎の御屋形様と戦うのでしょう。
まさか、本当に
「悪人の一種」であるはずの”貘”の真の目的が
「世界平和」であるならば、
なんだか少しがっかりです。
”貘”の真の目的は、
常に破滅のスリルと隣り合わせでいるべきことなのです。
主人公である”貘”の人物像がブレるということは、
特に本作にとっては、
物語の軸そのものがブレることにつながります。
こうなってくると、
実写版本作は、作品を通して、観客に何を見せたかったのだろう・・・
という疑問すら感じられてしまいます。
すごみもカリスマ性もなく、
気まぐれに良いことをするだけの腕の立つギャンブラーが、
のらりくらりとババ抜きに勝つ姿をなんとなく、
見せられるだけでは、なんとなく満足できない・・・。
そこが本作を少し残念に感じたところでした。
ロデムの等速直線運動に、すごい違和感!?
本作を「アクション映画」と呼ぶのは、
少し差し支えがあるかもしれませんが、
本郷奏多さん演じる「目蒲立会人」のバトルシーンは、
なかなかのものでした。
というわけで、おおむねアクションに文句があるわけではないのですが、
とてつもなく気になるアクションシーンが一部あります・・・。
それは、
「嘘喰い・貘と梶が、ロデムに襲われるシーン」です。
「ロデム」の身体能力のすさまじさを、
表現するためなのでしょうか・・・。
貘と梶を見定めたロデムは、
文字通り、一足飛びに、
2人のターゲットをめがけて襲い掛かってきます。
その問題の”一足飛び”のシーンですが、
安っぽいワイヤーアクションのように、
ロデムが空中で等速直線運動をしながら、
貘と梶にするすると近寄ってきます。
最近、私が、
「アベンジャーズ」や「アバター」などの
一級品の作品ばかり見ていたせいかもしれませんが、
このシーンには思わず、苦笑いでした。
この演出のせいで、
本作のすべてがチープに感じられてしまった・・・
と言っても過言ではありません。
ロデムとのアクションシーンは、
全体を通して、
不自然なところが目立っていたように思います。
しかし、
ここは、ロデムの身体能力の高さを表現するために、
あえて不自然さを演出したのだと解釈することにしましょう。
鞍馬蘭子の小物感がすごい!?
実写版本作のキャラクターは、
原作の人物よりも、とにかく小物感が強いのです。
その筆頭が、
”鞍馬蘭子”です。
もちろん、
演者の白石麻衣さんの演技が悪いわけではないのですが、
これは、残念ながら、キャスティングミスと言わざるを得ないレベルです。
製作サイドとしては、
白石麻衣さんに新しい役どころを開拓してもらうことを期待しての
キャスティングだったのかもしれません。
もしくは、逆に、
”蘭子”の役どころをあえて、白石麻衣さんに寄せて、
恋愛のテイストを加えたかったのかもしれません。
確かに、元トップアイドルは、
小さからぬ「数字」を持っているはずですので、
起用の意図としては、理解できます。
しかし、
あくまで”蘭子”は、
裏の世界に君臨し、
組の長として、カジノを営む極道の女です。
そんな極道の女が、
年端もいかないイケメンギャンブラーに、
のぼせ上って、恋をするところには、
見ていてゾッとさせられました。
なんだか、子ども同士の恋愛を見ているようで、
作品のチープ度がここにきて、またさらに上がったように感じました。
それから、
”蘭子”は、貘の人主として、5億円を拠出します。
しかし、
この「5億円」が、
”蘭子”の組の余剰資金のすべてだとのことです。
「5億円」というのは、極道的な額としては、
大きな額と言えるのでしょうか。
残念ながら、
私は、カジノを経営したことがないので、わかりませんし、
サラリーマンの給与からすると、
もちろん「5億円」は、すごい額です。
しかし、
第一印象としては、
「あれっ?意外と持ってないんだなぁ・・・」
と感じたのが、正直なところです。
上場企業ではないシノギの経済活動ですし、
そんなものなのでしょうか。
それから、蘭子さんは、
かなり派手な邸宅にお住まいのようでしたが、
あんなに目立つ家に住んでしまって、
税務調査とかには、入られないのでしょうか。
やはり、
組のお金を意中の男性のために
一括でつぎ込んでしまうくらいなので、
経営の手腕は、少し甘めという裏をかいた設定なのでしょうか。
『智』と『暴』が両立していない・・・!?
さて、原作『嘘喰い』の最も大きな魅力とは、何でしょう。
それは、やはり、
「入り乱れる”智”と”暴”」ではないでしょうか。
「ギャンブル」と「バトル」の融合、
それこそが、
『嘘喰い』を『嘘食い』たらしめていると言えるはずです。
しかし、
実写版本作には、
衝撃的なことに、
”暴”に言及されるシーンが一切ないのです。
原作では、貘が、
ロデム(マルコ)を仲間に引き入れるのは、
「かわいそうだから」
などという単なるボランティア精神からではありません。
マルコの戦闘能力を評価した貘が、
彼を”暴”として、引き入れるのです。
しかし、残念ながら、
実写版本作においては、
マルコには「料理がうまい」以外の活躍の場が、
与えられることはありません。
つまり、本作には、
原作のような”暴”という概念は存在しないのです。
これは一大事です。
原作では、
「立会人」をも、脅かす「暴」が存在するからこそ、
立会人の生き様が輝くのです。
「暴」が存在しなければ、
立会人の存在意義は半減です。
そして、
『嘘喰い』から、
”暴”が失われてしまっては、
もはや、本作の魅力は半減どころでは、済まないのです。
しかし、
実写映画『嘘喰い』では、
「時間が限られているから・・・」という理由で、
”暴”を除くという暴挙を、
平然とやってのけてしまっているのです。
これはさすがに悲しい!
個人的には、
映画の製作にたずさわる方には、
ひとつひとつの作品をもう少し大事にしてあげてほしいなぁと
願っていたりもします。
素人の私が偉そうに言えたことではありませんが。
原作『嘘喰い』は、とてもおもしろい!
実写映画は、いまいち不完全燃焼でしたが、
原作『嘘喰い』は、すばらしい作品です。
原作を読まれていない方のためにも、
『嘘喰い』の魅力を少しご紹介させてください。
原作『嘘喰い』の最も大きな魅力と言えば、
くり返しになりますが、
「入り乱れる”智”と”暴”」です。
「賭博」において、
卓越した”智”をふるい尽くした末に、
計り知れない財を手にしたとしましょう。
しかし、
他を圧倒する”暴”を兼ね備えていなければ、
財を守り切ることは叶いません。
勝利には、
”智”と”暴”が不可欠なのです。
実に、真理をついていると思いませんか。
実社会においても、
相手の立場が自分より強ければ、
大事な約束を反故にされることは、よくあります。
そのリアルさが、
本作の大きな魅力の一つだと私は思っています。
「ギャンブル」と「バトル」、
2つのテーマが完全に両立しているのに、
こんなに軸にブレがない作品も珍しいです。
そして、次は本作の2つ目の魅力。
それは、言うまでもなく、
「個性豊かなキャラクター」です。
つかみどころがなく、
何とも言えない浮世離れ感を持った
主人公『嘘喰い・斑目貘』。
”斑目貘”は、時に、
おどけた態度を取ったり、
恐れる演技をしてみたりと
戦いの中でさまざまな顔を見せてくれます。
しかし、
そのすべてにおいて、
どこまでが「打算」の上で、
行われているのかは誰にもわかりません。
誰も、その本心を読み取ることはできないし、
その狙いを図ることもできません。
一体どこまで先を読んでいるのかもわかりません。
それが”斑目貘”というキャラクターの
魅力的な部分だと私は思います。
そして、
斑目貘と行動を共にする
”梶隆臣”の成長からも目が離せません。
梶ちゃんが賭郎勝負を吹っかけ、
失敗を重ねながらも
ぎりぎりのところで生き残るところには、
いつも、ひやひやさせられます。
そして、さらに
原作において、
最もキャラクターの描き方がすばらしいのは、
各”立会人たち”です。
とんでもない額の”財”、
いや、もしかしたら、それ以上のモノが賭けられる、
「賭博」の立ち合いをするという立場において、
常に『立会人』は、
何事においても「完璧」に立ち振る舞う必要があります。
あなたも感じている通り、
「完璧な人間」など、この世のどこにも存在しません。
そんな当たりまえの前提の中で、
「完璧」の傍らに立ち続けるという覚悟を持った者たちだけが
「立会人」を名乗ることを許されるのです。
それぞれの「立会人」が
それぞれのやり方で「完璧」たろうとするその気高い姿が、
本作の見どころの一つでもあります。
ちなみに、
私は、何気に拾壱號・銅寺立会人が大好きです。
実写映画『嘘喰い』が面白いと言えるところ
酷評が過ぎたかもしれませんので、
本作の良かった点についても、
まとめておこうと思います。
横浜流星さん、いい感じでした!
『嘘喰い』という作品の魅力は、
主人公”斑目貘”の魅力と言っても
過言ではないと言えます。
それだけ、貘さんは、魅力的なキャラクターです。
ただそれだけに、演じるのが難しいのでは?
と私は心配していました。
”梶”や”マルコ”などの登場人物は、
作中でも、多くの内面の描写があるため、
そこまでむずかしい演技表現は必要ないのではないでしょうか。
しかし、
”斑目貘”だけは異なります。
すべてを見透かしたようでいて、
周囲には、それを悟らせない・・・
そんなむずかしい演技表現が必要になるのではないか?
と私は、想像しています。
うまく伝わらないかもしれませんね(笑)
ただ、つかみどころのないキャラクターの演技というのは、
ヘタをすると、ただ印象のうすいだけの人物というだけで、
片づけられてしまいます。
そういった意味では、
横浜流星さんは、自分なりの”斑目貘”を
うまく見つけて演じられていたかな、
と思いました。
セリフ回しや立ち振る舞いなどには、
多少の違和感はありましたが、
原作の最序盤の斑目貘は、
そもそもキャラが固まっていなかったりするので
そこは仕方ないところでしょう。
残念なのは、
斑目貘は、運動オンチなので、
得意の格闘シーンが披露できなかったところですね。
映画としては、いい話でうまくまとまっていた!
実写映画、本作の物語の中心は、
もちろん、
「嘘喰い・貘vs佐田国一輝」です。
2人の直接対決は、
「ババ抜き」と非常に地味な戦いですが、
そこは原作通りですし、おいておきましょう。
問題は、
「嘘喰い・貘vs佐田国一輝」の幕引きが、
なんだかすごく「いい話」に
まとまっているということです。
原作では、
”嘘喰い・貘”に嘘を喰われた、
”佐田国”は、「生への執着」を呼び起こされ、
それまでの毅然とした態度を一変させ、
「死にたくない!」
と醜態をさらしながら、命を奪われることになります。
しかし、
実写版本作では、
この生粋の名シーンが大幅に改変されました。
本作では、逆に
”佐田国”は、”嘘喰い・貘”に
「死への覚悟」を与えてもらったように見受けられます。
達観した”佐田国”は、
取り乱すことなく、昔の仲間のもとへと旅立っていきます。
そして、あろうことか、
死を覚悟した”佐田国”は自身の思いを、
”嘘喰い・貘”に託し、非常に満足そうです。
対決は、
嘘喰い・貘の完全な勝利であり、
原作通りなのですが、
”佐田国”というキャラクターの最期が、
大幅に改変されているのです。
この改変により、
映画全体が非常に「いい話」にまとめらています。
一作限りの映画を作る上で、
物語を「いい話」にまとめるのは重要なことです。
そういった意味では、
「うまく丸くまとめたなぁ」というのが、
作品への感想の一つです。
やはり、そこが、
原作ファンとしては、物申したくなる部分でもあるわけですが(笑)
実写映画『嘘喰い』ってどんな映画?
実写映画『嘘喰い』の基本情報
- 公開日: 2022年2月11日
- 監督: 中田秀夫
- 主題歌: B’zの「リヴ」
実写映画『嘘喰い』のキャスト
- 横浜流星: 斑目貘(まだらめ・ばく)
- 佐野勇斗: 梶隆臣(かじ・たかおみ)
- 白石麻衣: 鞍馬蘭子(くらま・らんこ)
- 本郷奏多: 目蒲鬼郎(めかま・きろう)
- 森崎ウィン: レオ
- 櫻井海音: 切間創一(きるま・そういち)
- 木村了: 草波渉(くさなみ・わたる)
- 鶴見辰吾: 小野寺昌弘(おのでら・まさひろ)
- 村上弘明: 夜行妃古壱(やこう・ひこいち)
- 三浦翔平: 佐田国一輝(さだくに・いっき)