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実写映画『東京リベンジャーズ』ひどい!原作好きとして許せない!

楽しかったモノ・コト

実写版『東京リベンジャーズ』を
見てきました。

私は、
原作の『東京卍リベンジャーズ』が
大好きです。

そんな私にとっては、
残念ながら、
実写版の本作は、
どうにもいまいちな仕上がりでした。

少し物申させてください。

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原作『東京卍リベンジャーズ』は超面白い!

原作『東京卍リベンジャーズ』といえば、
「タイムリープ×ヤンキー漫画」として、
絶大な人気を博している作品ですよね。

主人公・花垣武道が、
タイムリープを使いこなし、
あきらめずにPDCAをくり返す中で
仲間との絆を深めていく姿には、
いつも胸を熱くさせられます。

過去の「タイムリープもの」の作品といえば、
『シュタインズ・ゲート』や
『ひぐらしのなく頃に』などが
有名でしょうか。

『東京卍リベンジャーズ』は、
これらの名作に匹敵するほど
おもしろいと思います。

「タイムリープもの」には、
本当にすばらしい作品が多いですよね。


さて、
こんなにすばらしい
原作『東京卍リベンジャーズ』を
実写映画化するのだから、
さぞ、秀逸な作品ができあがることでしょう。

そんな大きな期待を込めて
視聴をさせてもらった映画『東京リベンジャーズ』・・・

さんざんな出来でしたね(笑)

実写映画『東京リベンジャーズ』の個人的評価

私の実写映画『東京リベンジャーズ』への個人的評価は、

評価:★★★☆☆

です。

とりあえず、
飽きずに最後まで見られたので
こんなもんかな?
というレベルでしょうか。

ストーリーは原作を
なぞっているだけあって、
そこそこには、おもしろいです。


原作『東京卍リベンジャーズ』といえば、
各話ごとに胸が熱くなるような
「興奮」や「感動」を味わわせてくれる
素晴らしい作品です。

今回の実写版作品は、
そんなすばらしい「原作」から、
「興奮」や「感動」を
取り去ったような作品と
でもいうべきでしょうか。

なんだか、
作品に対して、
致命的なことを書いている気もしますが、
一言でいえば、
「作品に厚みを感じません」でした。

実写映画『東京リベンジャーズ』の良かった点

『東京卍リベンジャーズ』の世界の生々しさを追体験できた

まずは、
本作の良かった点からです。


マンガでは、
サラリと表現されている
「不良の怖い世界」。

本作の実写版では、
これが生々しく表現されているという点には、
正直、感心しました。

原作では、
かなりマイルドに表現されている
「暴力」や「非行」。

これらを現実のものとして、
映像作品に落とし込んだとき、

 「花垣武道」は、
 こんな恐怖と戦っていたのか・・・

と、「タケミチ」の心の葛藤を
少し追体験できたようにも感じます。


原作での「タケミチ」の毎度の大活躍に
胸を熱くさせられる私にとっては、
目新しい感覚だったと思います。

MVPは今田美桜さん

本作のキャストのみなさんは、
かなりはまり役の方が多かったと思います。

吉沢亮さんも、
うまく自分なりのマイキーを
探り当てていたように思います。

そして、
中でも、私がすばらしいと思ったのが、
ヒナ役・今田美桜さんです。

見終えた後に何も残らず
厚みを感じなかった本作。

その中で唯一、
今田美桜さんの

『君はいつも急に来るね。』

というセリフだけが、
頭の中に残り続けています。


作中では、このセリフは、
3回ほど使われたと記憶しています。
(違ったらすみません)

伏線というやつですね。

そして、
3度のシーンで、使われたこのセリフは、
今田美桜さんが異なる気持ちを込めて、
すごく丁寧に放った言葉であったように
感じて、私の心には強く残りました。

すごくよかったと思います。


もしも、
ヒナ役が橋本環奈さんだったら
こうはならなかったかもしれません。

いや、分かりませんが(笑)

実写映画『東京リベンジャーズ』のひどい点

ここからは、
本作のひどい点です。

バイオレンスを描くことに執着しすぎている

マンガを映像作品に落とし込むという意味では、
本作は特に悪い作品だとは思いません。


しかし、私は、
本作を見た時に言い表しようのない
「これじゃない感」を感じました。

その「これじゃない感」の正体を
探ってみようと思います。


あなたは、
原作『東京卍リベンジャーズ』を、
どんなジャンルに属する作品だと思っていますか?

「SF」?「恋愛」?「クライムサスペンス」?
確かに、そういった要素が目立っていますよね。


しかし、私は、
原作『東リベ』を何か一つのジャンルに分類するならば、
ミステリー」であると思っています。

本作は、
「ミステリー」に、
「恋愛」や「ヒューマン」、「アクション」、「SF」などが
スパイスとして、味付けされた
絶妙なバランスの作品だと、
私は思うのです。


では、
今度は、『実写版の本作』を
ジャンル分けするとすれば、
何に当てはまるか考えてみましょう?

「実写版」では、
抗争シーンや喧嘩のシーンに
ずいぶんと力が入れられているようでした。

おそらく、
実写映画『東京リベンジャーズ』は、
アクション映画」に分類される作品でしょう。


つまり、
ミステリー」を原作とする作品を
アクション映画」として描いてしまっているわけです。

これが、
私がいだいた「これじゃない感」の正体では
ないかと思います。


例えば、
「原作」では、
タイムリープ後に世界がどう変わったのかを
ハラハラしながら、確認しにいく時とか
すごくワクワクしますよね。

「実写版の本作」では、
そういったところは、
かなり雑に表現されています。


映画は、2時間しかありません。

監督が、『原作』に対して、
ピント外れな焦点の当て方をしてしまうと、
『実写版の作品』は、
原作のダイジェストを
ただ俳優が演じているだけの
退屈なものになってしまいます。

そういった意味では、
今作は、「不良漫画」を意識する余りに、
バイオレンスを描くことに執着しすぎたことが
「ひどいと言われる理由」の一つではないかな?
と、私は感じています。

登場人物たち、おじさん過ぎないですか?

物語冒頭から、
「違和感」を覚えていました。

主人公の「タケミチ」は、
原作では、「中学生」のはずです。

それが、
本作では、「高校生」に改変されているのです。

とりあえず、何かしらの事情があるのだろう・・・
と「違和感」を飲み込んで
物語を見続けていました。

そして、
話は進み、
本作のキーパーソンである
「マイキー」と「ドラケン」が
かっこよく登場する場面で、ついに
「違和感」は「不協和」へと
昇華します。

「マイキー」も「ドラケン」も
明らかに「おじさん」なのです。

原作の「マイキー」や「ドラケン」も
確かに、大人びた少年たちです。

しかし、
そこに垣間見える「あどけなさ」や、
子どもであるにも関わらず、強くあろうとする「覚悟」こそが
彼らの魅力の一つだと
私は思うのです。

大人が大人びた演技をすれば、
いくらかっこよくても
それはもうただの「おじさん」です。

はしゃぎながら不良をやっている
「おじさん」たちを見続けているのは、
どうにも忍びないのです・・・。


誤解のないよう、申し添えておきますが、
吉沢亮さんや
山田裕貴さんの
演技が下手だとか、
顔が老けているだとか、
そういった意図は微塵も含んでいません。

衣装は似合っていましたし、
かっこよかったと思います。

ただ、
「マイキー」や「ドラケン」の
その刹那的な魅力は、
格好をまねたり、
言動をなぞったりしただけでは
簡単に表現できるものではないと
私は思うのです。


それから、
最後の方で、出てきましたが、
特攻服を着て道路に突っ立っていた間宮祥太朗さん・・・

作業着のおじさんにも見えて
吹き出してしまいました。すみません。


ところで、
設定が高校生に改変された「マイキー」や「ドラケン」たちは、
あんなにふり切れた不良であるにも関わらず、
もしかしてわざわざ授業料を払って高校に進学してるのでしょうか?

もしや、ああ見えて、意外と将来のこと、
考えてる・・・?

細かいところはどんな設定なんでしょうね。
気になります。

マイキーとドラケン、弱くない?

そして、
「マイキー」や「ドラケン」の一番の魅力といえば、
何でしょう?

やはり、
その「常識外れの強さ」ではないでしょうか。

「無敵のマイキー」は、
どんな相手も一蹴りで倒してしまうはずです。

「マイキー」や「ドラケン」が味方にいる時の心強さは、
マンガを読んでいる私たちをも安心させてくれるほどです。


しかし、
『実写版の本作』では、
「マイキー」も「ドラケン」も
なんだかそこまで強くない・・・。

確かに、
「マイキー」も「ドラケン」も
強いのです。

ただし、あくまで、
「常識的な範囲での強さ」なのです。


つまり、
「マイキー」や「ドラケン」の一番の魅力である
「常識外れの強さ」を
本作の彼らは持ち合わせていません。


これは、かなりひどい話になってきました。

ここまでの話をまとめると、
本作の「マイキー」や「ドラケン」には、
キャラクターとしての魅力が
ほとんど残されていないのです。

これでは、もはや、
最後の抗争シーンでは、
「マイキー」や「ドラケン」の恰好をした
いい年のおじさんたちが、
常識の範囲内で適度に大暴れをしているだけなのです。

見ていると、
だんだん滑稽に見えてきます。

私だけでしょうか・・・?

東京卍會メンバー、感情ぶっこわれてない?

ここからは、少しネタバレを含みます。

最後に、
東京卍會のメンバーが総出で、
「ドラケン」の手術の成功を医師に告げられる場面。


想像してみてください。

あなたには、
家族のように大切な友達がいます。

その友達が、
何者かに腹部を刺されてしまいました。

友達は、病院に運ばれ、
生死の境をさまよっています。

あなたの胸は、
不安と緊張でいっぱいですよね。

その後、
何時間も待った末に、
手術室から出てきた医師に、
「手術は成功しました」
と告げられたとしたら、
あなたはどんな反応をしますか?


何かがはじけたように
やったー!ひゃっほーい!
と病院で大さわぎしますか?

それとも、
良かった・・・と
不安と緊張でいっぱいだった
胸をなでおろすでしょうか?


前者の反応には何か違和感がある気がします。

私ならば、きっと後者の反応をするでしょう。

もし、前者の反応をする方がいるとすれば、
・感情がぶっ壊れているか、
・生死をさまよっている友達を真剣に心配していなかったか、
のどちらかではないでしょうか?


私は、心理学の専門家ではないので、
間違っているかもしれませんが、
「喜び」とは、
欲求が満たされた時に生まれる
感情であるはずです。

ですので、
「タケミチ」が「ドラケンを生存させる」
というミッションを
やっとの思いで成し遂げたことを
大喜びするのは、理解できるとして・・・


東京卍會のメンバーさん達は
いったいどんな気持ちで
「タケミチ」と同じテンションで
大喜びしていたんでしょう?

「ドラケン」を失う強い恐怖や不安から
解放された彼らが一番に感じる感情は、
おそらく「安堵感」ですよね。


やはり、東京卍會の方々は、
殴られ過ぎて感情がぶっ壊れてしまった
という理解でいいのでしょうか?

だとしたら、かわいそうですね。

まさに『ケーキを切れない非行少年たち』です。

本作は、我々が思うより、
ずっと深い闇を描いているのかもしれません。

タケミチの芯が完全にぶれている

ここにも、ネタバレを含みます。

『実写版本作』で、一番問題のあるシーンといえば、
どこでしょうか?

私は、
「ヒナ」が「タケミチ」に
好意を寄せるきっかけになった、
あのシーンだと思っています。

コンビニで
チンピラに絡まれていた「ヒナ」を
「タケミチ」が変人のフリをして
助ける場面ですね。

一見、何気ない改変に思えるかもしれません。

しかし、
私は、この演出が、
本作の物語の根幹をゆるがす大問題のシーン
だと思えるのです。


さて、
自分より強そうなチンピラに対して
変人のフリをよそおって、
その場をやり過ごすという行為は、
果たして、「かっこいい不良」のやることでしょうか?


原作には、
物語の最初から、
ずっとつらぬき通されている
「かっこいい不良」像
というものがあります。

ずばり、原作の「かっこいい不良」とは、
自分より、明らかに強い相手に対しても、
人数や武器に頼らずに、
決してひるまず、
挑んでいける芯の強さを持った人物です。

それが、
マイキーの兄である「真一郎くん」です。

「マイキー」や「ドラケン」が、
「タケミチ」の芯の強さに
「真一郎くん」の影を見たからこそ、
この物語の幕がひらくのです。

もちろん、
原作では、
「ヒナ」も、
「タケミチ」の芯の強さに心をひかれ、
好意を寄せるようになるのです。


しかし、
『実写版本作』の「タケミチ」は、どうでしょう?

どうやら、
本作の「タケミチ」氏は、
「かっこいい不良」である一面を
気まぐれで見せるだけの
ただ喧嘩に弱い人のようです。

こんなときどき
芯のぶれる「タケミチ」に
「真一郎くん」の影を見た
「マイキー」と「ドラケン」の目は、
節穴だったということなのでしょうか。

「ヒナ」は、
たまたまバイト中に助けてくれた変人かもしれない人を
なんとなく、好きになっただけなのでしょうか。

そういうことなら、
なんだか、感動も半減です。

『実写版本作』の脚本家の方は、
原作を4巻までしか読まずに
本作の脚本を書いたのでしょうか。


本作は、後半にさしかかるほど、
つじつまを合わせるために、
話の作りが雑になっていくような気がします。

もちろん、
映画は、形にするだけでも
大変だということは、わかっているつもりです。

いろいろな人の意見や利害を束ねて、
面白い作品を作るのって
本当に難しいのでしょうね。

キヨマサこそが、かっこいい不良だった・・・?

続いて、ここにも、ネタバレを含みます。

「かっこいい不良」像の話が出たところで
『実写版本作』の違和感をもう一つ。


本作の一番の見せ場である
「タケミチとキヨマサのタイマン」について、
考えてみましょう。

「キヨマサ」は、
本作の「かっこ悪い不良」の代表格として
描かれてきました。

喧嘩賭博の途中で、武器を持ち出したり、
1人の相手を大勢で襲ったり、
とやりたい放題です。

しかし、
最後の「タケミチ」との
タイマンの場面ではどうでしょう?

「かっこ悪い不良」の代表であるはずの
「キヨマサ」が、あろうことか
おもむろに「タケミチ」の目の前に
のこのこと一人で表れ、
正々堂々とタイマンを仕掛けるのです。

もしも、
「ドラケン」がまだ戦えるとすれば、
2対1にもなりえる危険な戦いです。

いくら「タケミチ」をなめているとはいえ、
そんな危険も予想される戦いに
「キヨマサ」は、
武器も仲間も持たず、
たった1人でのぞむのです。


さあ、ここで、
「かっこいい不良」像を
今一度、思い出してみましょう。

ずばり、「かっこいい不良」とは、
自分より、明らかに強い相手に対しても、
人数や武器に頼らずに、
決してひるまず、
挑んでいける芯の強さを持った人物です。


この場面での「キヨマサ」は、
おおむねこの「かっこいい不良」像に
当てはまっている気がするのは
私だけでしょうか?

なにせ、
この大事な局面において、
「あえて」武器や仲間を放棄し、
ステゴロで挑むのです。

「キヨマサ」にも、
ゆずれない何かがあったということなのでしょう。

「実写版本作」では、
こんなに「かっこいい不良」は、
「キヨマサ」をおいて
なかなか他には見当たりません。


なぜか、『実写版本作』では
刃物を使わない「パーちん」と
いい勝負ではないでしょうか。

「パーちん」が刃物を使わなかったせいで、
本作では、「長内さん」が
中ボス役とラスボス役で、
ダブルヘッダー出演をさせられてしまいます。

もう完全に、しっちゃかめっちゃかです。


さて、「パーちん」は、
刃物を忘れてきただけだとして、
残念ながら、
「かっこいい不良」同士の対決は
「キヨマサ」ではなく、
「タケミチ」に軍配が上がりました。

しかし、
ここ一番の大勝負では、
武器にも仲間にも頼らない
「キヨマサ」の生き様は、
決して「タケミチ」に劣るものでは
なかった、と
私は、称賛の拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。

めでたし、めでたし。


・・・というわけで、
最後の最後に「キヨマサ」のキャラも
映画の見せ場を作るために
完全にぶれてしまったようですね(笑)

さいごに

今回は、
実写映画「東京リベンジャーズ」について、
取り上げました。

少し物申し過ぎたかもしれませんね。

不快になられた方がいらっしゃったら、
大変申し訳ありません。

しかし、
本作は、他の実写作品ほど
ひどくはないと思います。

私の原作への思い入れが強かったので
少し熱くなってしまいました。

ちなみに
「バクマン。」の実写版もなかなかひどかったです。

よければ、
↓の関連記事を
あわせて読んで楽しんでみてください。


さて、
『東京リベンジャーズ』は当てはまらないようですが、
優れた映像作品を見れば、
「コミュ力」を鍛え
ることができるらしいですよ。

あなたが「コミュ力」を鍛えたいと思っているならば、
ぜひ、↓の関連記事を参考にしてみてください。