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映画『冷たい熱帯魚』グロすぎ!こんなにイカれた作品は初めて!

楽しかったモノ・コト

映画『冷たい熱帯魚』を見ました。

作品の第一印象としては、
「こんなにイカれた作品は初めて」
です(笑)

まさに
「グロい!」の一言。

「グロい」のは、
その映像演出だけではありません。

欲にかられた人間の内面は
こんなにグロテスクによどんでしまうのか・・・
という気持ちを込めての

「グロい!」

の一言です。

ちなみに
「イカれた作品」というのは
誉め言葉のつもりです。

常軌を逸しているからこそ
本作はおもしろいのかもしれません。

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映画『冷たい熱帯魚』グロすぎ!

映画『冷たい熱帯魚』は、
実話をもとにした作品です。

本作は、1993年に起きた
「埼玉愛犬家連続殺人事件」を
ベースにしています。

実質的には、
事件の設定を借りた
フィクションといったところでしょうか。


実際の「埼玉愛犬家連続殺人事件」では、
犯人とされる人物が、
詐欺まがいのペット取引の商売をする中で
邪魔になった相手を殺害してしまい、
遺体を巧妙に遺棄するという犯行が
おこなわれていたようです。

そして、
その「遺体の遺棄」が、
あまりに巧妙であったため、
事件は「遺体なき殺人」とまで呼ばれました。


映画のストーリーとしては、
うだつのあがらない主人公・『社本』が、
主犯格である『村田』に取り込まれ、
「埼玉愛犬家連続殺人事件」の
犯行に共犯者として巻き込まれていく、
といったところでしょうか。


本作では、
遺体の解体シーンも
再現されているため、
とにかくグロい!

そして、
人間の自己は、
「お金」と「性」のために
ここまでグロテスクによどんでしまうのか・・・

と少し暗い気持ちにもなるほどです。


本作は、
こんなに気分を害しそうなほど、
薄気味悪い作品であるにも関わらず、
不思議なことに
目が離せないほど、おもしろいのです。


園子温監督の人気の理由が
なんとなく分かった気がします。

吹越満さんとでんでんさん、
すごい演技でした。

映画『冷たい熱帯魚』の個人的評価

映画『冷たい熱帯魚』の個人的評価は、

評価:★★★★☆

です。

あまりのグロテスクさに
万人におすすめすることは
できなさそうです。

しかし、
覚悟を決めて見てみるならば、
楽しめると思います。

本作のように
はじまった瞬間から
おもしろい雰囲気を
感じる作品もなかなかありません。

ただし、
本作の中心にあるのは、
「お金」と「性」です。

人によっては、
刺激が強すぎるかもしれませんね。

とても家族団らんで
見られるような映画ではありません(笑)

映画『冷たい熱帯魚』の感想

ここからは、
作品の感想です。

ネタバレを含みます。

男性的な強さとは何か?

本作では、
「男性的な強さ」が、
女性を引き寄せる描写が
多用されています。

主人公・『社本』は、うだつが上がらず、
小さな熱帯魚屋さんを細々と経営しています。

一方で、
詐欺師であり、事件の主犯格である『村田』は、
豪奢な熱帯魚屋さんを派手に経営しており、
明朗快活で女性を口説くための
「魅力」も兼ね備えています。

表面的には、
『社本』よりも『村田』の方が
男として「強く」、
『社本』とは、もともと不和であった妻も娘も
次々と『村田』に取り込まれていきます。

女性が「男性の強さ」に惹かれるのは
遺伝子的に考えても、理にかなっているのでしょう。


しかし、
「強さ」とは何なのでしょうか?

本作では、
「財力」も「魅力」も持たない『社本』は、
男性的な強さとして、
「暴力」を見出し、
妻と娘を暴力で支配するようになります。

「暴力」で妻と娘を支配した『社本』は、
同時に「暴力」に支配されてしまった・・・

それが本作の薄気味悪さの一つだと思います。


男性的な強さとは、
「財力」や「魅力」や「暴力」でしか
体現できないのでしょうか。

世の中には、
少年漫画のような、わかりやすい「強さ」は
なかなか存在しません。

かといって、
内面的な「強さ」が、
周囲に認識されることもなかなかありません。

そのため、
男は単純な「何かの力の強さ」で、
優劣を決めたがるのでしょう。

なんだか、
「男性的な強さ」が悪いものであるようにさえ
感じられます。

後味の悪い感想ですね。
少しもやもやが残りました。

ラストパートは確かに蛇足

公開後の監督インタビューで
「再編集できるならば、エンドロールに入るシーンを変えたい」
という内容の回答があったようです。

やはり、
ラストパートの
「暴力」に支配された『社本』が
暴走するくだりは、
蛇足だったということでしょう。


本作の終わり方はというと・・・

『社本』の「生きるっていうのは痛いんだよ!」
という不可解なセリフと、
精神に異常をきたした『社本の娘』の笑い声を残しながら、
物語は、視聴者を煙にまくように
ふわりと終わっていきます。

もっとかっこよく、
すっと終われるところがあったような・・・

という感じは、確かに否めませんでした。



『村田』を死に至らしめた『社本』が
『村田』に成り代わり、
「暴力」の連鎖が、受け継がれていくということが
表現したかったのでしょうか?

『村田』が死に際に放つ
「おとうさんごめんなさい、もう悪いことしません」
というセリフは、
『村田』が
かつて虐待を受けていた少年だったことを
表しています。

つまり、
「暴力」が「暴力」を生み、
それが脈々と世代を越えて、
受け継がれているわけです。

そう考えると、
本作のラストパートは、
『村田の父』の代から続いてきた「暴力」の連鎖を
さらに否応なく、継承した『社本の娘』が、
今後、どのような人生を歩んでいくのだろうか・・・
という悲しい問題提起にも思えますね。


ただし、作品に、
作者のエゴが入り込むと
作品そのものがつまらなくなったり、
違和感が目立つようになったりする
という主張はよく聞かれます。

園子温監督も映画公開後に
ラストパートを通じて、
自身のメッセージを作品にねじ込むことが
蛇足となってしまったことに
気づいたということなのでしょう。

でんでんさんの鬼気迫る演技

本作の悪役、
つまり、事件の主犯格である
『村田』役は、「でんでん」さんがつとめておられます。

その演技がとにかくすごい。

物語冒頭では、
絵に描いたような「気のいいおっちゃん」として、
登場する『村田』こと「でんでん」さん。

その演技に
違和感は、まったくありません。

しかし、
『村田』の素顔は、冷酷な犯罪者です。

『社本』を取り込めたとわかるや否や、
『村田』はその正体を臆面もなく表します。

ここでの演技の移り代わりも、すごい。

「殺害から遺体遺棄まで」の工程を
「ボディを透明にする」という隠語で呼び、
愉快にその手腕を自慢する様は
まさにサイコパスです。

そして、
楽しい日曜大工をするかのごとく、
遺体を解体していくその姿は
見ているこちらの
気が変になりそうなほどに、ナチュラルです。

改めて、
俳優という職業のすごさを
目の当たりにした気がしました。

私は、派手な洋画ばかりを
好んで見ていましたが、
本作には、邦画ならではの奥深さのようなものを
感じたように思い、いたく感心しました。

冷たい「熱帯魚」は何かのメタファーだったのか

さて、
本作のタイトルにもなっている
冷たい「熱帯魚」というのは、
何かのメタファーになっていたのでしょうか?

残念ながら、
これについては、
私はうまく読み解くことができませんでした。


実際の「埼玉愛犬家連続殺人事件」では、
犯人とされる人物は、
「熱帯魚」ではなく、「犬」を
主に取り扱っていたようです。

動物が
「犬」から「熱帯魚」に
さし替えられたことには、
どんな意味が込められていたのでしょう?


少し考えてみましょう。
ここからは、私の想像です。

「熱帯魚」は、「犬」と違い、
水中、つまり、
人間とは完全に異なる世界で生きています。

「熱帯魚」は、
人間の世界で起きることに対して、
まったく意に介さず、
日常を静かに水槽の中で送っています。

その姿は、
まさに「冷たい」無関心ともいえるほどです。

そんな
「静かな水槽の中の熱帯魚の日常」と
「すさんだ外の世界の人間の惨劇」の
対比が本作の主題である『冷たい熱帯魚』に
意図されているのではないか?
と私は考えました。

深読みのしすぎでしょうか。

犬に演技を仕込むの大変だったとか
そういう理由だったら、ちょっとさみしいですね(笑)