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人を駒扱いする会社は、もはや生き残れない。人材不足は誰のせい?

仕事がつらいあなたへ

あなたがお勤めの会社は、
10年後にも、まだ存続しているでしょうか?

私は、多くの会社が、
「人材不足」によって、
今後、どんどん力を失っていくと思っています。

では、
その「人材不足」は
いったい誰のせいなのでしょうか。

今回は、
現在、多くの会社で問題となっている
「人材不足」について、
考えていきたいと思います。

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「人員」がそろえば、仕事はまわるのか?

まずは、
私が、メーカーに勤める中で、
とても驚いた出来事についてです。


私は、当時、
とある新製品の研究開発をしていました。

社内では、
いわゆる「注力テーマ」という位置づけでした。

ある日、偉い人が、こう言いました。

「ずるずるやっても仕方ないから、
 この2年間で人員を集中させて、
 一気に成果をあげよう!
 選択と集中だ!」

とてもいい判断です!
あなたもそう思いますよね?

偉い人の鶴の一声とは、
すごいものです。

数か月のうちに、
どんどん他の部署から人が集まってきます。

プロジェクトの人員は、
またたく間に1.5倍ほどに膨れ上がりました。

普通なら、
スピード感があって、いい会社だなぁ
と思いますよね。


しかし、
問題はここからです。

プロジェクトを膨らませるために
急にあてがわれた人員は、
一体、どこから集められたのでしょうか?

人の異動は簡単ではありません。
特に優秀な人材ほど・・・


さて、答えは簡単です。

同じ時期に、
たまたま閉鎖した工場で
「あぶれた人員」が
するりっと異動してきただけなのでした。

これは、大きな問題です。

それまで、
工場で製品の包装作業をしていた人が
いたとします。

そんな人が急に、

「明日からは、
 『♯$♪★』っていう製品の研究をやってね!
 専門知識・・・?そこは気合で(笑)」

などと言われて、
まともな仕事ができるでしょうか。

できませんよね・・・(笑)


その結果、
プロジェクトグループには、
仕事ができない人が
大量に発生してしまいました。

まさに絵にかいたような
烏合の衆です。

本来であれば、
しかるべき人員から、
しかるべき教育が
おこなわれるべきなのでしょう。

しかし、
「注力テーマ」のエース社員に、
他の人の教育に割くような時間は
ありません。

そもそも、
工場での作業しか経験したことのない方々に
付け焼刃の教育をほどこしたところで
企業の第一線の研究開発が
務まるものなのか、疑問が残ります。


結局、
プロジェクトは、
気が付けば、空中分解状態。

本来、
責任を取るべきだったプロジェクトリーダーは、
なぜか土壇場で、栄転。

プロジェクト終了期限のギリギリで
就任した新プロジェクトリーダーが
責任を取らされ、
他県の子会社に島流しとなりました。

さらっと書きましたが、怖い話ですね(笑)


さて、
この本当にあった怖い話の一番の問題は
いったいどこにあったのでしょうか?

私は、
「会社が、人を駒扱いしていること」こそが、
最大の問題だと思うのです。

人には、駒と違い、個性がある

「あなた」と「私」は、
おそらく全く違う人間でしょう。

なぜなら、人には個性があるからです。

人には、それぞれ
培ってきた経験があり、
得手不得手があり、
固有のスキルがあるものです。

さらに、何より、
モチベーションがあります。

人は、将棋の駒のように、
死地に動かそうとしても、
期待通りの動きをするわけではありません。

もしかしたら、
会社で偉くなり過ぎた方にとっては、
これは、目からウロコな事実かもしれませんね(笑)


そして、
令和時代の仕事は、
昭和時代の仕事とは
全く異なるものです。

近年の仕事は、明らかに
「高度化」し、
「複雑化」してきています。


「いにしえの時代の仕事」は、
管理者が作ったマニュアルを、
その通りにこなすことができることこそが、
もっとも望まれていました。

今や、そのような仕事は、
AIや自動化アプリがおこなっています。

対応が遅れている場合は、
まだ派遣社員の方が
おこなっているかもしれませんね。


しかし、
「新時代の仕事」は、一味違います。

マニュアル通りの仕事は、
そう多くはありません。

「新時代の仕事」では、
「他者との調整」を図りつつ、
「経験」から培った
「専門知識」と「個々人のスキル」を
最大限に活かしながら、
状況をより良くしていくことが望まれています。

言葉にすると、あまりにもむずかしい内容です。
どおりで「働かない(働けない)おじさん」が増えるわけですね。

つまり、
「新時代の仕事」では、
「個々人の力量」が、
仕事の出来・不出来を大きく左右するわけです。

「人員」と「人材」は似て非なるもの

さて、
「新時代の仕事」は、
これまで何気なく働いてきた方々にとっては、
規格外に「高度化」し、「複雑化」してしまったようです。

このようなむずかしい仕事は、
ただ頭数だけをそろえられた「人員」だけで
こなすことができるのでしょうか?

人手が足らなければ、
とりあえず、
どこかで余っていた「人員」を「駒」のようにあてがえば、
それで、すべて解決なのでしょうか?

偉い人たちは、
本当にこれでうまくいくと
思って人員(駒)の配置をしたのでしょうか?

おそらく、違いますよね。

偉い人たちも、本当は、
「新時代の仕事」に対応できる「人員」を
あてがいたかったのではないでしょうか。

ここで、
「人員」と「人材」の違いを考えてみましょう。

「人員」という言葉は、
なんとなく、「考える力」を持たない人に対して、
使うような気がしますよね。

逆に、
「人材」という言葉は、
自分の頭で「考える力」があるような人を指すような
感じする気がします。

いろいろな定義はあると思いますが、
私は「人員」と「人材」を大まかに分けると、
↓のようになると思います。

『人員』・・・
昭和時代のマニュアル通りの仕事しか
できない、または、しなくていい人。

『人材』・・・
令和時代の「高度」且つ「複雑」な
仕事がこなせる人。

おそらく、あなたも近いイメージを
持たれているのではないかと思います。

それをふまえて、
今の日本の多くの企業で嘆かれている
「人材不足」を読み解いてみると、
どうやら、会社の中には、
「人員」は余っているものの、
「人材」は不足しているということに
なってしまうのではないでしょうか。

なんとなく、納得しませんか?

古い体質の会社が、
これからの時代を生き抜くには、
偉い人たちが、
この「人員」と「人材」の違いを
正しく理解しているかどうかが
重要になるのではないかと
私は思うのです。

そして、
従業員を「人員」と呼ぶ会社は、
「人を駒扱い」するような古い体質の会社だと
私には、思えるのです。

「人材不足」は誰のせいか?

では、本題に入っていきましょう。

企業の「人材不足」は誰のせいなのでしょうか?

私は、
企業の「人材不足」は、
「会社の偉い人たちのせい」だと思っています。


さて、ここで、
「新時代の仕事」に求められることを
思い返してみましょう。

「新時代の仕事」で求められるのは、
「他者との調整」を図りつつ、
「経験」から培った
「専門知識」と「個々人のスキル」を
最大限に活かしながら、
状況をより良くしていくことです。

「他者との調整」については、
当人のコミュニケーション能力が
物を言うかもしれません。

しかし、
「専門知識」と「個々人のスキル」は、
「経験」から培われるものです。

そして、
社員に「経験」をつませるのは、
会社ですよね。

「経験」をつんだ「人員」は、
やがて「人材」へと育っていくでしょう。

これが、本当なら、
社内は、「人材」であふれているはずです。

考え方によっては、
ほぼすべての社員は、
「人材」と呼べるのかもしれません。

ならば、
なぜ、「人材不足」などということが
起きるのでしょうか。

それは、
偉い人たちが、

「社内の『人材』を探すのをさぼっているから」
「社内に必要な『人材』像を理解していないから」

でしょう。

あなたの会社は、
社員の一人一人が
どのような「経験」をしてきた「人材」なのか
しっかりと把握していますか?

おそらくしていませんよね。

つまり、
会社は、そもそも社内でどんな「人材」が
育っているのかを理解しようともしていないのです。

それを棚に上げて、
「人材不足」を嘆いているわけです。

つまり、これは、
「社内の『人材』を探すのをさぼっている」
ということですよね。


そして、
本当に「人材」が不足していることが
明らかであるのならば、
適切な「人材」を社外から採用すればよいだけです。

不足している「人材」を
社外から採用すればよいだけなので、
一旦「嘆く」必要などありませんよね(笑)

しかし、
実際のところは、
どんな「人材」を採用してよいかわからないから、
「嘆く」のです。

なぜならば、
偉い人たちが、
「社内に必要な『人材』像を理解していないから」
ですね。


つまるところ、
「人材不足」について、
本当に嘆かれているのは、
「人材がいないこと」ではありません。

本当に嘆かれているのは、
会社の偉い人たちに、
「社員を適材適所に配置する能力がないこと」
なのですね。

つまり、
「人材不足」とは、
偉い人たちの「人材を適材適所に配置する能力の不足
の略だということです。


日本の会社には、
本当の力を発揮しきれていない
優秀な「人材」がたくさん眠っていると、
私は思っています。

人を使う側の意向しだいでは、
「人材」は、「人員」にしかならない場合もありますし、
「人員」を「人材」として役立てることもできるはずです。


まずは、会社側で、
社員一人一人の「経験」を把握し、
社内で育っている「人材」を理解する。

それは、そこまで、むずかしい話ではないはずです。
人事台帳を少しアップグレードするだけです。

さらに、
自分の会社に、
どんな「人材」が必要なのかを理解するのは、
もっと簡単なはずです。

そんなこともせず、
「人財」などという
言葉遊びを考えてヘラヘラと
喜んでいる場合ではありません。

よもや、
肥大化しすぎた組織では、
経営と現場の距離が離れすぎてしまい、
当たり前な問題の解決も
できなくなってしまったのでしょうか。

だとすれば、
これから、多くの企業がすべきなのは、
会社を大きくする努力ではありません。

事業を取捨選択し、
管理できるレベルまで、
会社の規模を小さくする努力をすべきでしょう。